プロフィール

プロフィール

生年月日  1985年
出身    秋田県本荘市(現・秋田県由利本荘市)
学歴    山形大学 人文学部 卒業
経歴等   司法書士 昆裕司 事務所
      日本年金機構 本荘年金事務所 国民年金課
      由利本荘市議会議員 現在2期目

事務所   立憲民主党秋田県第3区総支部
      〒015-0074
      秋田県由利本荘市桜小路43-7藤丸ビル2階
      電話:0184-74-7107

 じめまして、小川のりよです。どこにでもいる普通の39歳。未婚です。

 達の世代は、バブル崩壊後の求人倍率が低い時期に就職活動をしたことから、就職氷河期世代と呼ばれ、いくら受験しても不採用が続き、社会に必要とされていないのではと思い悩み、ハローワークの求人票は非正規雇用ばかりで低賃金が前提となっていました。自分のことを低く見積もる、いわゆる自己肯定感の低い気持ちと、置かれている社会的な環境とが重なり、結婚も子ど もも以前のように当たり前ではなくなってしまいました。これらは自分たちの努力が足りなかったのでしょうか。若者が結婚しなくなったのも、子どもが生まれなくなったのも、時間もお金も日々自分のことに消費するのが精一杯で、他者に向けることができなくなったからではないでしょうか。家族を養ったり 余裕を持って子育てできる所得だったり、子育てと仕事を両立できる環境だったり、政治がやらなければならないことが沢山あります。

 は大学を卒業して、岩手県宮古市の司法書士事務所で働いているときに東日本大震災を経験しました。そのときに国の支援策と現地のニーズが合って いないもどかしさを感じました。震災をきっかけに宮古と地元由利本荘市を往復しながら、自分で直接地域住民の声を行政に届けるしかないと思い至るよう になりました。

 35歳のときに由利本荘市議会議員選挙に立候補。小さいころからお世話に なっている人、高校の同級生、地域の方々など多くの方から応援をいただき、県内の自治体で最年少の女性議員として初当選させていただきました。

 議会議員になり敬老事業に参加したとき「80歳過ぎて、市議会議員の名刺 をもらったのは初めて」と言われたことがありました。生活に一番身近なはずの市議会すら遠く感じている人たちがいます。政治が一部の特権階級の人たちだけのものであってはならないはずです。「どうせ言っても無駄」「投票しても変らない」そういった政治への諦めが漂っているのではないでしょうか。そして声をあげたくてもあげられない、いつも悩みを抱えて、苦しんでいるのは、権力から一番遠い人たちだ、ということを強く感じるようになりました

 れまで国政選挙に名乗りを上げる人たちは、多くが政治家の二世だというのが3区の現実でした。最初から地盤や看板、カバン(選挙資金)が用意された恵まれた方々とは違う、私のように組織も資金も知名度もない若い女性でも挑戦できる、それが民主主義ではないでしょうか。

 議員として地域に密着して皆さんの声を聞いてきた私だからこそ国に届けることができる地方の現状があります。私は地方であれ国であれ、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」という日本国憲法の三原則を守り、政治に活かしていくことが大切だと考えています。国内だけでなく、小さな子どもまでが犠牲になっている紛争地域に対して、平和的な解決を強く望む外交を推し進めるよう訴えていきます。

 の私をつくっているのは、秋田の土、水、風、食物。農業は秋田の生活、文化、 経済、全てに関わります。農業問題こそ私に課された大きなテーマだと考えています。そして、秋田は人口減少、高齢化率など、全国よりも速いスピードで進んでいます。この課題に立ち向かう秋田の姿が全国のお手本になります。どちらも政治が大きな役割を果たしており、今こそ変えなければ、同じことの繰り返しではないでしょうか。

 たちの身近な政治を「あなた 」と私で変えていきましょう。

 来はみんなでつくるもの。
 こそ一緒に政治を変えていきましょう。